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観音院ご縁者

​観音院ご縁者

ここに載せさせていただいております皆さまは、観音院と可知雅康の僧侶の活動をいつも近くで応援してくださっている心優しく温かい皆さまで、私の大切な方々です。

観音院 代表 可知雅康

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私が観音教会とご縁を頂いたのは19歳の時です。雅祥上人(雅康上人の師父上人)が宮城県石巻市の支部で布教されていた時のこと、生きることで深く悩んでいた時にご指導いただき、自分の人生の道筋を立てて頂きました。その後東京に結婚のご縁を頂いて以来、観音教会で世話人修行を積み現在に至ります。この度、雅康上人が「観音院」として新たな布教を任されたとのことで、若かりし頃の雅祥上人と少し重なって見えて大変嬉しく、またご活躍を楽しみにしております。私も受付事務として精一杯務めさせていただきますのでどうぞよろしくお願い致します。

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私が仏縁を頂いたのは22歳の時、あることをきっかけに雅祥上人を友人から紹介して頂きました。​その当時私は人生の悩み事がたくさんあり、いつも不安感でいっぱいでした。雅祥上人はそのたくさんある悩みを1つずづ解決に導いてくださり、気付けば辛いことばかりの人生が笑顔の絶えない人生になっておりました。それからというもの、自分の人生の問題を通して自然に信仰心が芽生え、解決後は観音教会で何か出来ないかと思い、事務をさせて頂くことになり、40年が経ちました。私は生涯この自分の役目を続けてさせて頂きたいと思ってます。雅康上人がこの度はじめられる「観音院」のご活躍も、見守らさせて頂くと同時に、私も三田村とともに受付事務を使命感を持って務めさせていただきますのでどうぞよろしくお願い致します。

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観音教会とご縁を頂いたのは今の寺院が建立される以前の、気づけば48年も前の事です。当時学生だった私は両親に連れられてお寺に伺い,その時、はじめて雅祥上人のお経を聞いたとき、言葉に表せられない感動を覚え、それ以来、時間さえあればお寺に通い、日々の小さな悩みから大きな悩みまで、人生相談を受け、教えを乞いました。最近では、雅康上人にも人生相談をさせて頂くようになり、世話人業務をさせて頂きながら、大変充実した日々を送っております。観音院、雅康上人を通して新たな仏縁を頂けますことを心より願っております。

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雅康上人とご縁を頂いたのは今から7年前です。両親の影響で法華経にご縁を頂いてましたが、昔から抱いていた自分の心の中にある生き苦しさや葛藤が消えずずっと悩んでいました。そんな時、雅康上人にご相談させて頂いたところ、自分自身も気づいていなかった悩みの原因を瞬時にご指摘頂き、ハッとし我に返ったことを今でも鮮明に覚えております。今現在は雅康上人のご指導を賜りながら、人生を楽しく生きられるようになりました。私は人との競争の中で学識を重んじて生きてきましたが、雅康上人の人生相談はどんな年齢層の方でも難しい言葉を使われず、わかりやすい言葉で、悩みを解決に導いてくださり、本当の自分に出会えるサポートをしてくださいます。観音院の人生相談で益々ご活躍されることを祈っております。

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母の信仰をきっかけに、人生で何かつまづいた時は必ず観音教会でお世話になっていました。年を重ねるにつれ、日々の生活の中に信仰があるかないかで人生の豊かさが全然変わってくるという事に気づき、それ以来観音教会の行事、身延山参拝、荒行堂のご祈祷会などに参加させて頂き信行を深め、今現在では母と共に世話人業務の補佐をさせて頂いております。この度、雅康上人が観音院で新たなご活動をされると聞き、これから何か人生で問題にぶつかったときは、雅康上人に是非指導を頂きたいと思っております。日蓮宗の教え、信仰を通して自分を高めていき、私を支えてくれる方みんなと一緒に人生を豊かに、楽しくなるように日々少しづつ精進してまいりますのでこれからもどうぞよろしくお願い致します。

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10代の頃より雅祥上人とご縁があり、「会の中で雅祥上人と一番お付き合いが深い」ということがいつも自分にとって誇りで、共に修行させて頂き、法華経の信仰に励み、早いものでもう50年が経過し、総代を任され40年が経過致しました。​​雅祥上人の影響で一度は僧侶を目指したほど日蓮宗が大好きで、今現在も私生活を通して、できる範囲の中で修行に励んでます。雅祥上人の与える影響は大きく、私の父も生前日蓮宗に改宗し​​檀家になりました。この度、雅康上人が観音院を任されると聞いて、自分も仕事に燃えていた30代を思い出し、また心は若かりし日の自分と同じく、布教のお手伝いをさせて頂きたいと思っております。若さでカバーできないところは総代の私が全力でサポートさせて頂きたいと思っております​。どうぞよろしくお願い致します。

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雅祥上人とのご縁は学生時代からで夫の黒澤治彦に続き約50年、​​雅祥上人のご祈祷や人生相談をきっかけに信仰を深め、いつもそばで修行させて頂きながら、今現在に至ります。特に家族、親族の事では大変お世話になりました。今では​観音教会の世話人業務をさせて頂いておりますが、自分がもし観音教会にご縁を頂いてなければという事を考えると、ゾッとすることがあり、私の人生は観音教会と共にあります。​今でも印象に残っているのが、実家の両親もまた雅祥上人の影響で熱烈な法華経のファンになってしまい日蓮宗にご縁を頂きました。観音院の雅康上人も雅祥上人の影響を受けながら、きっと令和の時代に合った良いご活躍をしてくださると信じております。いつも心より応援しております。

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平成7年に​​​当時勤務していた社長の紹介で雅祥上人とご縁を頂き、雅祥上人に初めてご指導を受けたその瞬間、自分の人生がドラマのように移り変わっていったことを今でも鮮明に覚えております。今現在は雅祥上人にご指導を仰ぎながら、会社経営をしております。私の会社経営の根幹は法華経の「利他行」の精神に尽きます。僧侶ではありませんが、自分が会社経営という1つの事を通して、どれだけ自分の使命に気づき、目覚め、自分を高めながら他者を導き、また社会に貢献できるかという事を今現在も挑戦し続けております。それは私の人生の中で生涯変わることはありません。観音教会の筆頭総代を任命して頂き25年が経ちました。雅康上人が任せられた観音院も「令和」という1つの時代だけではなく、50年後、100年後も見据えた素晴らしいご活動になる事を期待しております。また筆頭総代として、これから観音院を通して仏縁を頂く皆さまとも交流を深め、一信仰者としてお題目と法華経の大切さを伝えていきたいと思います。​

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両親が観音教会の熱心な信者さんだったこともあり、幼少の時からお世話になっております。それからのご縁で、雅祥上人には夫である江藤忠士との結婚の仲人もして頂き、家族共々、何かにつけお世話になっております。​​​夫を支えながら、筆頭総代の妻として、日々自分の役目を果たせるよう精進して参ります。それは勿論の事、これからご活躍されます、観音院の雅康上人のことも心より応援させて頂きますのでどうぞよろしくお願い致します。

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令和3年2月に宗祖御降誕800年の節目を迎えました。この節目に新型コロナウイルスも含めた今の社会情勢を鑑みて、弟子の雅康に観音教会の支院的存在である、観音院での布教の使命を与えました。私は当時20代、荒行堂で修行を修めた直後、お寺のないところから、自分が宗祖のご入滅された地、池上でどこまで僧侶として通用するのか、昭和54年に7月​から「日蓮宗 勝妙結社」という小さな会からスタート致しました。観音教会を建立後も人生指導を中心に布教を続け、早いもので半世紀が経ちました。私が布教に力を入れた時代は主に昭和、平成が大きく占めますが、令和の時代に移り、コロナ渦も混迷した時代にこそ、観音さまのお力を借りなければ良い時代は築けないと僧侶として確信しております。年齢から言いますと御老僧と言われる方に足を突っ込んだのかもしれませんが、今の時代に合ったネットやSNSを通して布教をしなさいと雅康に任命したのは私自身でございます。​もし私が雅康と同じ年齢であれば、枠にとらわれず、もっともっと積極的に布教をしていると思います。雅康は修行を修めたとはいえ、私から見たらまだまだ半人前です。何かあれば私も一緒になって人生相談の布教させて頂く所存ですので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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雅祥上人との出会いは、昭和58年の中山法華経寺荒行堂の時まで遡ります。当時雅祥上人は参行(300日目)で私は再行(200日目)でした。先輩僧としてお世話になりながらも、雅祥上人の僧侶としての力強い精神はどこから湧き上がってくるのか、いつも興味を持っておりました。それ以来、修行後も懇意にさせて頂き、雅祥上人からアドバイスを頂いたことを自坊にも取り入れ、今現在は雅祥上人をサポートさせて頂きながら、人生相談を中心に布教活動をさせて頂いております。この度雅康上人が観音院の布教を任命されたと聞いて、私も自分が布教を始めた頃を懐かしく思いました。先輩僧として雅康上人を見守らさせて頂くと共に、どんなことがあっても、失敗を恐れず、この混迷したコロナ渦の時代に、救いを求める皆さまの「光」となって欲しいと切に願っております。

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都内で紙を商う会社を営んでおります中村と申します。私は可知君(友人という立場から大変僭越ながらこちらのお名前で書かさせて頂きます。)とは学生時代からの友人で、この度「観音院」を始められるとお聞きし、友人代表として、また親友として一言メッセージを添えさせて頂ければと存じます。可知君からご連絡を頂き、「観音院」という形で布教活動をなさるとお聞きし、とても素晴らしいことだとうれしく感じました。可知君は学生の時から人の心の機微を読み、そしてその心に寄り添い、多くの友人を元気付けてきました。真面目な雰囲気な人にはすぐ冗談を言い心を柔らかくする一方、悩みを持っている人には深くその話を聞き、相手の立場に寄り添い解決の道筋をそれとなく示してあげる。このような場面を学生時代を通して多く見て参りました。私も日常生活においてユーモアを大切にしており、そこが可知君と学生の時から心通い合う部分で、今でもお会いすると笑顔が絶えません。観音院が可知君のそのお人柄により、笑顔の輪が広がるとても素晴らしい会になることを確信しております。私も友人としてぜひ応援をさせていただければ大変嬉しく思います。

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観音院代表の可知雅康です。私は10代、20代の頃、心とは、宗教とは、また人生とは何なんだろうかということに深く悩み、宗派問わず、偉い人がいると聞けば日本全国どこでも歩き、教えを乞いました。その結果、私は人間の心の中にある仏性(ぶっしょう)の存在に気付き、もし自分がいつか僧侶として修行を修められたら、この心にある仏性を大切にしながら、今までお世話になった人をはじめ、私の縁ある皆さまの少しでも何か力になれるように頑張ろうと強く思うようになりました。その後、お坊さんの修行を修めさせて頂き、師父雅祥上人ご指導の元、観音教会の法務に携わらせて頂き、現在に至ります。ご朱印をはじめ人生相談やご祈願を通して、観音院が皆様にとってかけがえのない心の拠り所となりますように、僧侶として人間として日々精進してまいりますので、どうぞよろしくお願い致します。

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可知上人は同じ聲明師(法式聲明の専門家)の同志ということもあり、様々な法要でご一緒させて頂いています。「悩んでいる方を救いたい!」という強い熱意から宗門の様々な修行を成満され、僧侶の各種資格を取得されている努力家でもあります。私は現在「時代に合わせた新たな布教方法」を広めるため、全国のお寺様のお手伝いをさせて頂いています。「観音院の布教の幅を広げたい」と可知上人からご相談を受け、観音院様のホームページ等のIT関連やご朱印等での布教方法についてお手伝いさせて頂いています。これからも観音院様の布教活動を陰ながらサポートさせて頂きます。

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